滴亭日乗〈しずくてい・にちじょう〉

ぽたり、ぽたりと雨粒が滴るように、日常の雑事を書き留めてゆきます。

奇跡の生還

誕生日とかクリスマス、年末年始など「ちょっと特別なタイミング」に事件が起こりがち。

2024年の12月は、クリスマス直前に母が救急搬送で入院。
2人で食べようと準備していたごちそうとかケーキは、全て1人で食べる羽目に。
母は病院で食事がまったく進まず、酸素療法に加えて、いきなりの中心静脈栄養投与となり、ごちそうどころの話ではなくなってしまった。

 

そして大晦日の未明、病院から急変の電話。
生命はとりとめたものの、今度は気管挿管で人工呼吸器に繋がれてICU入り。

自発呼吸はだいぶ戻ってきたけれど、完全に離脱はできないまま2週間が経ち、セオリー通りに気管切開となってしまった。


意識も「せん妄」というのか、しっかりとしたコミュニケーションは取れないままで、嫌なこととか、苦しい処置に対しては首を振ったり顔をしかめたりするけれど、
何か質問してもYes/Noはよくわからない。

そして、気管切開のカニューレを抜こうとするので、両手には拘束のためのミトンをはめられてしまって不自由さがアップ。

 

入院時、本人に「万一の場合に、心臓マッサージや人工呼吸器などを使った救命処置をしますか?」と確認したところ、「やってほしい」と答えたらしい。
その日、入院のための容態説明を医師が私にした際にそう聞かされた。

言いそうなタイプではある。

ただ、それがどういう状態につながるのか……ということは、具体的にあまり分かっていないように思えて、医師には「元気になって家に帰れる」という未来しか想定していない可能性があるので、タイミングを見て、本人にその先の可能性を説明して、もう一度どうしたいのかを確認してほしいと伝えたのだが、その確認は急変前に実行できなかったのかもしれない。

なし崩し的に延命処置をした形になり、現在は「人工呼吸器(気管切開)・経鼻経管栄養」で管に繋がって生きる日常となってしまった。
もともとない体力が入院生活で更に落ち、抵抗力も弱くなっているので、気管切開の術後、それまで気管挿管のチューブを留めていたテープ類の痕にヘルペスが沢山できてしまい、文字通り、泣き面に蜂の状態で胸が締め付けられる。

状況を一つ一つ並べると、何もかもがしんどい。